熊本県上益城郡山都町にある「幣立神宮」へ参拝しました。
神代の時代の高天原を称える日本最古の神社とされ、古い信仰と伝承を保持しています。
鳥居をくぐり、樹木に囲まれた約150段の階段を上がると、神武天皇の孫である健磐竜命が幣帛を立てた場所としてパワースポットとして人気があります。
・日本で一番古い神社と伝えられる
・万物の親神である「大宇宙大和神」という神様が、唯一祀られる
・神霊として天降ったと伝わる檜の御神木や、生い茂る五百枝杉など古木・巨木
Contents
幣立神宮の概要
名称: | 幣立神宮 |
---|---|
読み方 | へいたてじんぐう |
住所 | 〒861-3905 熊本県上益城郡山都町大野712 |
創業 | – |
電話番号 | 0967-83-0159 |
参拝可能時間 | – |
社務所受付時間 | 10:00~16:00 |
御朱印有無 | あり |
駐車場 | 無料:50台 |
例祭日 | 9月15日 |
公式サイト | – |
公式instagram |
幣立神宮のアクセス方法・行き方
・道の駅 清和文楽邑から車で約6分
・山都町 蘇陽支所から車で約11分
国道218号線を山都町から五ヶ瀬町に向かう途中に幣立神宮が鎮座します。
駐車場
駐車場は、道路の両側にあります。
山道を走っていると急に駐車場が出現するため、近くに来たら車を減速した方が良いです。
左側に駐車場が確認できましたので、順番に駐車します。
駐車場には付近の観光案内板もあります。
幣立神宮を参拝後に付近の観光で参考にすると良いでしょう。
幣立神宮の由緒・御祭神・御利益
由緒・歴史
当宮の所在地は『大日本史』に記されている知保の高千穂嶺です。
この地は筑紫の屋根の伝承のように、神殿に降る雨が東西の海に注いで地球を包むという高天原日の宮の伝承を持つ国始めの尊宮です。
吉末天神地祇を祭った神籬は、日本一の巨桧として現存しています。
また、神武天皇がここから発輦された原点であり、皇孫健磐龍命は勅命によって天神地祇を祭られた歴史があります。
御祭神
神漏岐命 | 主に古事記に登場し、国産みや皇祖皇室の祖先とされる神の一柱。天地開闢の際、天照大御神が高天原から天下を統べるために遣わした神の一人。 |
神漏美命 | 古事記や日本書紀に登場し、天照大御神の子神。主に天照大御神が天岩戸に隠れた際、天神らが天岩戸を開けるための策を講じた際に活躍した神の一柱。 |
天御中主神 | 宇宙や自然界の根源的な力を象徴し、世界の創造と秩序の始まりを示す存在。天地万物生成化育の根元神とされる神様。 |
天照大神 | 日本神話における最高神で太陽神として知られる。高天原の主神として、太陽の光をもたらし、大地の豊穣を司る。また、皇室の祖神としても崇められた。 |
阿蘇十二神 | センターの建磐龍命を中心に、家族が次々に祀られていった結果、12柱の大所帯となった神々の総称。建磐龍命、阿蘇都媛、日子八井命、比咩御子神、彦御子神、若比咩神、新彦神、新比咩神、若彦神、彌比咩神、速瓶玉命、綏靖天。 |
御利益
ご利益 | 縁結び、家運隆盛、出世運、商売繁盛 |
幣立神宮の御朱印
本堂
本堂で御朱印が受け取れます。
右側におみくじもあるので、御朱印を頂戴する際にはぜひ引いてみてください。
御朱印
御朱印は、直筆でなく据え置きの御朱印になります。
お守り
本堂の左手に比較的新しい建物があります。
中へお邪魔すると、新品のような桧の香りとお守りが並んでおります。
お札、お守は、こちらで購入することが可能です。
持ち帰り用の紙袋もあるため、帰る道中も落とす心配がなく安心です。
幣立神宮の境内の様子
正面鳥居
正面鳥居は、道路から車で通り見することが可能です。
写真を撮る際は、車道に出る方が目立ちますので、お気をつけください。
打手水
打手水は、石階段と境内の2箇所あります。
石段の打手水へ行くならば、階段は右側を登ると良いです。
境内の左手にも打手水があります。
綺麗な水であり、天に伸びる木々が水面に反射して見えます。
本堂
参拝時は、「茅の輪くぐり」がありました。
ど真ん中に小さく設置されており、非常に味があります。
天神木の「高千穂」
日の宮のシンボルとなって、天神木の頂点に立っていたこの「高千穂」が9月27日の全国的超台風で、この姿に一変したことは、終戦時の枕崎台風と同様に日本の変わり目の維新の現れでしょう。
案内板の横に絵馬が添えられていることが可愛らしいです。
幣立天神のシンボル
「高天原に千木高知る」ことをノリトにも唱えながら、わかっていないので民族の心はバラバラです。
そこで、19号台風で天神木のシンボルが落ちて、ここにお祭りしたゆえんになります。
万世一系の天神木
本堂の右手横にあるヒノキです。
この御神木は樹齢は2000年ほどと言われています。
案内板もだいぶ古くなっていることから、歴史を感じます。
天神木の「首っ玉」
日の宮の天神木は、悠久の一万五千年にわたり命脈を保っている世界一の巨桧です。
この木の根元には、10代目の木が崇神天皇の時代、9代目の木が天照大神の時代の鏡コブが見えます。
11代目が現在の神木です。
この三木が一つに帰することでこそ、世界の平和がもたらされます。
昭和録の天神木/日の宮の「花の木」
昭和録の天神木
昭和天皇の御代に生まれたので、四月二十九日に御幣を立てていましたが、崩御によってこの日は旗日となり、現在も変わらず御幣を立てて祝っています。
大嘗祭の記念
昭和天皇(天神木の若木・緑の神木)
明治天皇(天神木の二またに・ツゲの神木)
日の宮の『花の木』
「昭和天皇のシンボルである緑の若木の側に、今上天皇が立太子された時、この『花の木』が生えました。そしてご成婚の年に四つの花が咲き、四皇子の誕生を知らせました。」
日の本は天地(あめつち)結ぶ日の宮居(みやい)
日の本照りて地球(くに)は安けし
村雲尼公殿下の御玉串
皇孫瓊瓊杵尊の思召しにより、皇祖天御中主尊の御許に天村雲命を上らしめたという伝承があります。
これが今日の幣立神社のことであり、神道五部書にも記されています。
そのため、昭和34年12月18日、貞明皇后の御妹君である村雲尼公殿下がご参宮され、玉串を献上されたことがあり、これが現在の真榊となっています。
筑紫の屋根
天照大御神が天の岩戸よりご出御の際、天の大神を神輿に奉じ、日の宮にご還幸されたという伝承があります。その伝承を生かし、日の宮の神殿は三手先入母屋造りの「神輿神殿」となっています。
また、この神殿に降る天水は、その前後によって東西に分流します。
この雄大な世界観から、高天原の尊称があり、別名で「筑紫の屋根」の尊号があります。
トイレ横の地蔵
トイレ横に地蔵さんが佇んでいます。
また元気が出るような文言が記載されており、ちょこっと気を抜けるような箇所でもあります。
東手洗神社の案内
神代の昔、皇孫瓊々杵尊は、この神水で全国の主要地を浄められました。
また、中国の始皇帝は不老不死の霊薬をこの神水に求められました。
さらに、沖縄の本土復帰や両陛下のご渡米に際しては、先駆の浄め役となりました。
そして、昭和55年3月15日に李玖殿下がこの水をお持ち帰り、翌年6月21日には金剛山の石笛が神納され、ソウル五輪の産婆役となりました。
「下りへ200米ル」と書かれています。
下りの道なりで、夫婦杉などが出迎えてくれます。
水玉の池
この池は太古から八大龍王が鎮まる場所で、北辰妙見の大神が祀られています。
また、神代の天の村雲姫が水徳を頂かれた霊地でもあります。
池は緑色で覆われていますが、清らかな水が流れついた池のため神聖な雰囲気を感じます。
東御手洗社(東水神宮)
池の左側に東御手洗社(東水神宮)が鎮座します。
山奥に佇む神社は、ひっそりと尋ねた参拝者を迎え入れている感覚にさせます。
この水がかかる場所に西御手洗の主基田を移したため、田迎えと称し、大賞祭の由基田の起こりとなっています。
こちらは飲水が可能です。
空のペットボトルにお水を注ぐ方もいらっしゃいました。
聖徳堂
右、東御手洗は太古より八大龍王の源泉で、この神聖を犯すと、台風が起こる証あり
左、直日道場を経て、上がること50米で聖徳堂あり、その上の小道を通って100米で、地球平和道場あり。
5分ほど進むと聖徳堂が見えてきます。
幣立神社の森
表参道の石段と直交する横参道には、巨大な杉並木が神々しい雰囲気を醸し出しており、その中で最大の五百枝(いおえ)杉があります。
名前が示す通り、多くの枝が豊かに茂る素晴らしい枝振りで、根本から何本にも分かれた大枝が高く伸び、まるで神様をお迎えしているかのようです。
高天原とは「古事記」の冒頭「天地のはじめ」に登場する神々の生まれる場所・天津神の住まう場所です。
石灯籠も立派に添えてあり、神々しさがあります。
参道は木々に囲まれた緑の道です。
参道を進むと、左側に「五百枝杉」が見えます。
参道を抜けると、「下乗」案内があります。
この参道は3分ぐらいで歩ける距離です。
五百枝杉
御神木である五百枝杉になります。
一際枝分かれした幹の大きい杉は、神様が宿っている感じがします。
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