貝洲加藤神社は、加藤清正公を祭神とする神社で、百町新地、四百町新地、七百町新地の干拓事業を指揮した野津手永惣庄屋鹿子木量平が、この地の守護神として創建しました。
明治13年には神楽方が組織され、年3回の加藤神社祭礼や印鑰神社、文政神社の祭礼にも参加しています。
演目は12座からなり、楽方は笛と太鼓を演奏し、舞方は鈴や真榊、御幣、剣、弓を持って踊ります。
・道中の正面に鳥居が鎮座
・当初は神道と仏教の両方を併せ持つ宮寺
・3人のご祭神を祀り、周辺付近の土地を見守る
Contents
貝洲加藤神社の概要
名称: | 貝洲加藤神社 |
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読み方 | かいずかとうじんじゃ |
住所 | 〒869-4223 熊本県八代市鏡町貝洲699 |
創業 | 1822年 |
電話番号 | 0965-53-9140 |
参拝可能時間 | – |
社務所受付時間 | – |
御朱印有無 | あり |
駐車場 | 無料:5台 |
例祭日 | 9月24日 |
公式サイト | – |
公式instagram | – |
貝洲加藤神社のアクセス方法・行き方
・八代市鏡体育館から車で約3分
・宮原SA (下り)から車で約18分
経路
県道14号線から県道322線に入り、鏡町北新地に向けて直進します。
目印は、交差点に大きな鳥居が見えてきますので、潜り直進しましょう。
駐車場
貝洲加藤神社の左側に小さな駐車場があります。
正面鳥居から向かうと、神社を目安にするとわかりやすいです。
貝洲加藤神社の由緒・御祭神・御利益
由緒・歴史
熊本県八代市鏡町は、その総面積の約80%が江戸時代の干拓工事によって開かれた土地です。
この干拓工事は、熊本藩主細川氏のもと、元禄期(1688年 – 1704年)に始まりました。
特に大規模な干拓工事は、鹿子木量平(1753年 – 1851年)が中心となり、1805年から1822年にかけて3度行われました。
鹿子木量平は、工事を進める際に加藤清正の神霊に祈りを捧げ、息子の謙之助と共に100町、400町、700町の干拓を成功させました。
工事が完了した1822年、鹿子木量平は加藤清正の神霊に感謝の意を表し、神殿を創建して清正公を祀りました。
創建当初は神道と仏教の要素を併せ持つ宮寺でしたが、1870年の神仏分離令により神社として改められ、村社となりました。
御祭神
藤原朝臣清正公 (加藤清正公)御 | 戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将。武勇に優れ、築城技術や治水工事の才能も高く評価される。 |
市杵嶋姫命 | 海上交通や漁業の守護神として信仰される。また美しさや芸能の神としても崇められる。 |
綿津見神 | 海の神々の総称であり、海原を司る神として信仰される。海上交通の守護神であり、多くの神社で海の安全と豊漁を願う人々に信仰される。 |
御利益
ご利益 | 五穀豊穣、無病息災、厄除け、開運招福 |
貝洲加藤神社の御朱印
社務所
神社の本堂内に社務所(受付)があります。
参拝時間外だと、社務所が見つからないため注意しましょう。
御朱印
御朱印の受領は本殿を背にして左側に、しめ縄がかかっている自宅兼社務所で直書きをいただけます。
本堂内の受付に宮司さんがいらっしゃらない場合は、伺ってみてください。
境内横の宮司さん宅の呼び鈴を押し、御朱印の有無をお尋ねしたところ頂けます。
くじ
お賽銭の横に「おみくじ」「むすびくじ」の2つが設置されています。
貝洲加藤神社の境内の様子
道中鳥居
42号線・鏡町両出信号付近から322号線沿いに一の大鳥居が見え、約1km先に神社が鎮座しています。
神社へ参拝する際の目印として、とてもわかりやすいです。
入口鳥居
322号線が緩く左カーブしている突き当たりに鳥居から入口があります。
鳥居を潜ると、左手に打手水・右手に宮司広松盛時先生像・少し先に水の流れることが無くなった神橋が架けられています。
打手水
打手水は、シンプルな見た目になります。
広松盛時像
貝洲加藤神社の宮司になります。
1920年に第二代宮司の広松盛時が、農作物の不作を心配して農業の手助けをするために、御幣を使って吉凶を占う神事を初めて執り行いました。
狛犬
2匹の狛犬が威風堂々と参拝者を見守ります。
またこの狛犬は、子供が下に潜っています。
右側にいる狛犬です。
本堂
参道から真っ直ぐ伸びた先に本堂があります。
大きく真っ白な石灯籠が厳かを醸し出します。
神社は木造造りで真新しいさがある作りです。
大事にお手入れされている様子が伝わります。
本堂内
本堂内は綺麗な室内です。
訪問時は夏だったため、扇風機が2台稼働しておりました。
本堂内の左端には、山鹿灯篭の模型があります。
少し調べてみましたが、明確な関係性は不明でした。
壁一面に絵画が並べてあります。
参拝時はゆっくりと絵画を見て回るのも良いです。
参集殿
明確な説明はありませんが、おそら参集殿です。
神社や寺院で行われる祭礼や法要、会議など、さまざまな行事や集まりのために使用される場所となります。
末社
貝洲神社の本殿向かって右側にある御社には、御祭神として市杵嶋姫命が祀られています。
市杵嶋姫命は、塩の神様や航海の神様として広く知られており、干拓前にこの地域がまだ海だった頃、海中の三洲に祀られていたと伝えられています。
その石像は、現在も神社から約50メートル離れた場所にそのまま祀られています。
貝洲神社の本殿向かって左側にある和合神社には、海の神様である綿津見神が祀られています。
この神社は、文政5年に新地築造の竣工を記念して境内地に建立されました。
綿津見神は、海上交通の守護神として信仰され、多くの人々から崇敬を集めています。
石字般若経碑
石字般若経碑は、石に刻まれた般若経(仏教経典の一つ)を指します。
般若経は、仏教において智慧の教えを説く重要な経典で、特に「般若心経」が有名です。
貝洲加藤神社のギャラリー