熊本県人吉市願成寺町にある「願成寺」へ参拝に行きました。
このお寺は鎌倉時代に創建され、数回の火災を経験しています。
奥には相良家の墓所があり、関ヶ原の戦いで石田三成を裏切った縁で、三成の供養塔も建てられています。
本堂の裏には2つの収蔵庫があり、手前の奉安殿には県指定重要文化財の不動明王や両界曼荼羅が、奥の国宝殿には国指定重要文化財の本尊阿弥陀如来像が安置されています。
裏門を出た奥には県指定文化財の相良家墓地があり、初代長頼公から37代頼綱公までの五輪塔が整然と並んでいます。
・奥の方に相良家の墓所
・創建以来数回の火災があり、今に至る
・九州八十八ヶ所百八霊場第50番札所
願成寺の概要
名称: | 願成寺 |
---|---|
読み方 | がんじょうじ |
住所 | 〒868-0022 熊本県人吉市願成寺町956 |
創業 | 1233年 |
電話番号 | 0966-24-4161 |
参拝可能時間 | 9:00-17:00 |
社務所受付時間 | 9:00-17:00 |
御朱印有無 | あり |
駐車場 | 無料:3台 |
例祭日 | – |
公式サイト | – |
公式instagram | – |
願成寺のアクセス方法・行き方
・相良藩願成寺駅から徒歩で約8分
・人吉ICから車で約4分
国道445号線を電車の踏切を過ぎ、人吉こども園の横に鎮座しています。
駐車場
隣に「みどり幼稚園」があるのでそれを目印にしても良いかもしれません。
願成寺の由緒・御祭神・御利益
由緒・歴史
「願成寺」は、国家の鎮護や皇室の繁栄を祈る勅願寺に指定され、江戸時代を通じて相良氏の庇護を受け、人々の信仰を集めてきました。
現在は九州八十八カ所第五十番札所となっています。
国の重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来坐像は、鎌倉時代初期に造られ、1658年に願成寺に移されました。
この像は3度の火災を乗り越え、現在も高さ110.8cmの寄せ木造りの姿を保っています。
その他にも、木造不動明王立像や石造りの七重塔、相良家の墓地など、数多くの歴史的価値のある文化財が残されています。
本尊
木造阿弥陀如来坐像 | 鎌倉時代初期に造られたものが、湯前の普門寺を経由し願成寺に1658年に移されたと言われ、3度の火災をくぐり抜けて今に残ります。彫眼、表面には漆を施した高さ110.8cmの像は、寄せ木造りの手法で造られたものです。穏やかさの中に厳しさもある表情と、写実的な衣服のシワなどの表現から幾内(京都に近い地域)の仏師によるものと考えられています。 |
宗派
真言宗大覚寺派 | 空海が平安時代に開いた仏教宗派です。生きている間に悟りを開けるとする「即身成仏」という教えを持つ「密教」の1宗派です。 |
願成寺の御朱印
本堂内
御朱印は本堂内にあります。
また御朱印だけでなく、お守り関係も揃っております。
御朱印
菊の朱印が特徴的になります。
御朱印はセルフでお納めする形になります。
御朱印帳
御朱印の横に御朱印もあります。
シンプルな手帳となります。
願成寺の境内の様子
一願地蔵
1つのお願いを一枚のお札に納めてお参りください
願い札は、本堂内の正面にあります。
石造三重塔
『人吉の文化財』によると、元は願成寺金堂前に立っていた中世の石塔で、高さ 1.86mあります。屋根瓦を彫り出した木造塔に似せた優品です。
時代的には室町の終わりぐらいになるのかなと思います。
本堂内
殉職さんが不在でしたが、本堂内でお邪魔することができます。
畳の広い部屋が広がっています。
正面に「木造阿弥陀如来坐像」が祀られており、左奥にお守りや御朱印があります。
初代相良長頼の墓
相良氏は藤原鎌足の子孫とされ、平安時代末期に静岡県相良荘の地頭を務めていた武家です。
1193年に相良頼景が熊本県の多良木村に移住し、その後、第一子の長頼が人吉荘に移り、1205年に地頭に任命されました。
長頼は1254年に78歳で亡くなり、願成寺の金堂前に埋葬されました。
1564年の願成寺金堂の再建時に長頼の遺骨は金堂須弥壇の下に移されましたが、1877年の西南戦争で金堂は焼失しました。
その後、金堂跡に長頼の墓を建設する運動が起こり、1887年に長頼の墓石と遺骨が発掘され、翌年に現在の石塔が完成しました。
碑文は第36代当主の頼紹が記しました。
また、相良家初代当主の長頼から37代頼綱に至る歴代当主やその妻、親族の墓地が約250基あります。
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