熊本県人吉市にある『観蓮寺』へ参拝しました。
24日は水子様にお弁当をあげるタイミングだったこともあり、人気で賑わっていました。
殉職様とお話しましたが、元々は殿様と仏教の方が守ってきたお寺とのこと。
豊臣秀吉が朝鮮戦争時に殿様が徴収され、その後継として真言宗となった経緯があるとのこと。
・九州八十八ヶ所百八霊場の53番札所
・飾りっ気のない本堂に対して観音堂は風格がある
・自然に囲まれた空間に、地蔵さんが並ぶ姿に厳かな気持ちになる
観蓮寺の概要
名称: | 観蓮寺 |
---|---|
読み方 | かんれんじ |
住所 | 〒868-0016 熊本県人吉市城本町村山1363 |
創業 | 1177年 |
電話番号 | 0966-24-4911 |
参拝可能時間 | – |
社務所受付時間 | 9:00~17:00 |
御朱印有無 | あり |
駐車場 | 無料:10台ほど |
例祭日 | 毎月24日:水子供養 |
公式サイト | – |
公式instagram | – |
観蓮寺のアクセス方法・行き方
・JR肥薩線人吉駅から徒歩30分
・九州自動車道人吉インターから車で約8分
駐車場
駐車場は、正面楼門の脇から入ることが可能です。
駐車場は砂利になります。
ラインも引いていないため、奥から順番に整列すると良いでしょう。
観蓮寺の由緒・御祭神・御利益
由緒・歴史
観蓮寺はもともと「観琳寺」と呼ばれ、治承年間(1177~1181年)に平重盛の菩提を弔うため、矢瀬主馬佑によって建てられました。
当初は禅宗の一派でしたが、大永6年(1526年)の地域の内乱「瑞堅の乱」で堂宇も焼失しました。
慶長年間(1596~1615年)に再建され、その際に千福寺から観蓮寺と改称され、真言宗に改宗しました。
その後、何度か住職不在の期間を経て現在に至っています。
寺の本尊は約2メートルの千手十一面観音像で、平安時代末期の作と伝えられています。
また、当寺は相良三十三観音巡礼の第九番札所(村山観音)でもあります。
札所の右手には本堂があり、こちらの本尊も千手観音像ですが、金銅で作られています。
本尊
十一面千手観音立像 | 観音菩薩(かんのんぼさつ)が頭部に十一面を持ち、それぞれに観音の慈悲と智慧を象徴する仏の顔を持つ。 |
宗派
真言宗 大覚寺派 | 平安時代後期に大覚寺兼任僧正が創始したことで知られる。大覚寺は京都にある寺院であり、ここが派名の由来 |
観蓮寺の御朱印
本堂
本堂で御朱印が頂けます。
もし殉職が見当たらない場合は、チャイムを鳴らすと良いです。
御朱印
御朱印は直筆でいただくことができます。
殉職様に書いていただいている間、本堂内で様々なものを拝観しておりました。
殉職様はとても優しい方で、このお寺のことや人吉市に関してお話しすることができました。
お守り
本堂内には、ちょこっとした数珠入れや小物入れも販売されております。
観蓮寺の境内の様子
案内
境内には、案内板があります。
観蓮寺・祀られる地蔵さん等の説明があるため、目を通しておきたいですね。
案内板を見ると境内が広そうに思えますが、短時間で回ることが可能です。
こういった案内板があると、建物の名称を把握しながら回れるのでありがたい。
村山観音
相良三十三観音の9番目の札所です。
矢瀬主馬之佑が平重盛の菩提寺として建てた観琳寺がルーツです。
慶長年間(1596~1614年)以降、「村山観音」として知られるようになりました。
本堂は別名「大悲堂」で、その中には木彫りの千手観音像があり、「人々の悩みを深く理解する」とされています。
境内には四国八十八箇所の本尊を模した石仏が並んでいます。
打手水
打手水は、石の部屋に囲まれた立派なものです。
大師堂
大師号を贈られた僧を礼拝の対象として祀る箇所になります。
稲荷社
稲荷神社の総本宮・伏見稲荷大社をはじめ、稲荷大神または稲荷神を主祭神としてお祀りしている神社です。
緑の空間に赤い末社があることに、不思議な空間を感じます。
淡島社
淡島社は、ちょこっとした階段を上がることで参拝できます。
建物内にも、神様が祀られております。
水子地蔵
流産や死産、中絶などの理由でお腹の中で亡くなった赤ちゃんや、生後間もなく息を引き取った赤ちゃんを供養する水子供養。
大きな像の裏側には、小さな像がたくさん祀られております。
小さい子でも寂しくないように、いろんな方と日々を過ごしているのでしょう。
毎月24日に地蔵様へお弁当をお渡しする時みたいで、私が参拝した際に地域の婦人方が炊き込みを行っていました。
地元の方の協力があるからこそ、守られていると殉職様とお話しできました。
観蓮寺のギャラリー
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