熊本県山鹿市にある『日輪寺』へ参拝に行きました。
平安時代に開山された歴史ある寺院で、桜やツツジの名所として知られています。
春になると、裏山には約200本の桜が3月下旬から咲き始め、4月中旬には3万5千株ものツツジが赤や白、ピンク色に咲き誇り、一帯が鮮やかに彩られます。
また、境内には赤穂義士遺髪塔や松尾芭蕉の句碑など、歴史を感じさせる多くの史跡が点在します。
毎年2月4日には「義士まつり」も開催され、多くの参拝者で賑わいます。
・高さ30mの巨大仏像おびんづる様
・菊池武時や加藤清正、細川忠利など、歴代の領主たちから厚い庇護を受ける
・江戸時代に各地から奉納された観音菩薩の石像群
日輪寺の概要
名称: | 日輪寺 |
---|---|
読み方 | にちりんじ |
住所 | 〒861-0552 熊本県山鹿市杉1607 |
創業 | 900年代 |
電話番号 | 0968-43-5802 |
参拝可能時間 | – |
社務所受付時間 | 9:00~18:00 |
御朱印有無 | あり |
駐車場 | 無料:200台 |
例祭日 | 毎年2月4日の義士命日:「義士まつり」 |
公式サイト | https://www.nichirinji.info/index.html |
公式instagram | – |
日輪寺のアクセス方法・行き方
・菊水インターから徒歩約20分
・日輪寺前から徒歩で10分
国道3号線を右に曲がります。
目印として『ファミリーマート』『ラーメン専門店 くらや』『ホワイト急便 杉店』があります。
右折後にすぐ左へ左折します。
住宅街に入りますので、直進します。
道がやや狭いため、すれ違い時は気をつけましょう。
直進し続けると、梵鐘が見えてきます。
車の場合は、右に進むと駐車場へでます。
大きな広場にでてきます。
さらにちょっと進むと広い駐車場にでます。
駐車場
砂利の駐車場は、かなり広いです。
駐車場には、「赤穂義士打ち入りの図」が出迎えてくれます。
参拝する前に圧巻な迫力がみれてワクワクしますね。
日輪寺の由緒・御祭神・御利益
由緒・歴史
日輪寺は、平安時代に天台宗の寺として創建され、鎌倉時代には曹洞宗へと改められた歴史深い寺院です。
その長い歴史の中で、菊池武時や加藤清正、細川忠利など、歴代の領主たちから厚い庇護を受けてきました。
昭和44年には、裏山でつつじ育苗園を造成中に、古墳時代前期の「竜王山古墳」が発見され、大きな話題となりました。
このことからも、日輪寺の境内が多くの歴史と文化を抱えていることがわかります。
本尊
本尊 | 釈迦如来 |
宗派
曹洞宗 | 今から八百年ほど前の鎌倉時代、道元禅師が正伝の仏法を中国から日本に伝え、瑩山禅師が全国に広められ曹洞宗の礎を築かれる |
日輪寺の御朱印
社務所
境内の右手側に社務所があります。
「受付」と案内板があるため、わかりやすいです。
受付の方が不在でも御朱印を受け取ることが可能です。
御朱印は箱の中にあります。
こちらにお金を納めると良いです。
箱を上げるとこのような形です。
1枚の御朱印と袋を頂戴しましょう。
御朱印
御朱印は書き置きになります。
とはいえ、仏像さんと筆の執筆が迫力ありますね。
御朱印をカバーする袋もあるため、御朱印帳を忘れても安心ですね。
日輪寺の境内の様子
梵鐘
市指定有形文化財に指定されている貴重な梵鐘は、高さ115cm、直径70cmの銅製で、その美しい造形が際立っています。
『山鹿市の指定文化財』によると、製作当時の詳細な情報が刻まれており、銅銭百貫文を用いて鋳造されたことや、製作に関わった中心人物である中興沙門懐義をはじめとする関係者の名が記されています。
さらに、銘文には製作年として正平13年(1358年)が記されており、約650年以上もの歴史を持つ文化財としての価値を物語っています。
赤穂十七義士遺髪塔
この塔には、元禄十五年(1702年)の赤穂事件で本懐を遂げた赤穂義士四十七士のうち、大石内蔵助良雄をはじめとする十七士の遺髪が納められています。
赤穂事件後、義士たちは四大名(細川家、松平家、毛利家、水野家)にそれぞれお預けとなりました。
そのうち、大石内蔵助良雄ら十七士が細川藩邸(現在の東京都港区芝白金)に預けられました。
細川家では、これを大いなる名誉と喜び、藩主綱利公が自ら出迎え「武士の鑑だ」と義士たちを称賛しました。
芭蕉碑
山鹿の地には、江戸時代の俳人・松尾芭蕉の句を刻んだ「芭蕉碑」が静かに佇んでいます。
この碑は、明和3年(1766年)に建てられたもので、碑の正面上部には芭蕉が詠んだ次の俳句が刻まれています。
「己が火を木々の蛍や花の宿」が彫られています。
この句は、蛍が光を放ちながら飛び交う夏の夜を情緒豊かに表現しており、芭蕉らしい深い感性が感じられます。
水子地蔵尊
こちらのお地蔵さまは、流産や中絶などでこの世に誕生することが叶わなかった赤ちゃんを供養し、その魂をお救いする「水子地蔵さま」です。
ご供養をご希望の方は、どうぞ境内奥の受付にお越しください。受付横にあるインターホンを押していただければ、担当者がご案内いたします。
本堂
当寺では、本堂内に永代納骨堂を設置し、故人様の大切なお位牌を丁寧に預かることもしています。
将来のお墓管理に不安を感じる方や墓石を守継承者がいないなどのご事情でお悩みの方に、安心してご利用いただける供養の場を提供しております。
大仏拝観参道
おびんづるさまは、境内の左側の道を進むことでお参りいただけます。
小さな橋を渡し、山頂へ向けて登ります。
右側に日輪寺の池を見つことができます。
参道には階段や坂道がございますので、足腰に不安がある方や体力に自信がない方には少々厳しい場合がございます。
頂上までもう少しです。
ここを登り切ると、大きなおびんづる様を拝むことができます。
弘法大師
弘法大師は、旅修行中には「空海」と名乗られ、各地で農家を助け、水不足の解消に尽力されたことで広く人々に親しまれました。
その功績から、現在も「お大師さま」として多くの人々に尊敬されています。
また、空海は漢詩や書道にも優れ、その才能は「日本三筆」の一人に数えられるほどでした。
その筆遣いは美しく、今も日本文化の象徴として語り継がれています。
打手水
参道を上がると、おびんづるさまの前、右手側に「打手水」がございます。
しかし、現在はお水が止まっている状態となっております。
半おびんずるさま
おびんづるさま前の小屋には、たくさんの仏像があります。
本来、おびんづるさまの中には金色に輝く「ミニおびんづるさま」(と言っても全長約3mもある大きなもの)が横たわり、どの部分でもなでやすいように設置されていました。
しかし、震災の影響を受け、現在は別の場所へ移されています。
もし、病を治したい、健康を願いたいという気持ちで訪れた方は、ミニおびんづるさまを撫でることをお忘れなく。
おびんづる様以外にも、仏像が多々祀られています。
お守りも備えております。
古屋の中にあるため、雨天時でも濡れない所が良いですね。
絵馬もあり、参拝者が記載の上掲げております。
なで仏様のお参り作法もあります。
古屋の全体像はこのような感じです。
人がいない分、静寂に包まれております。
おびんずるさま
おびんずる様(賓頭盧尊者)は、お釈迦様の弟子の一人で、十六羅漢の中でも特に神通力に優れ、病に苦しむ人々を癒したと伝えられる存在です。
そのため、おびんずる様像を撫でた後、自分の体の悪い部分をさすると病が治ると言われています。
多くの寺院では、本堂前に実物大の像が祀られていますが、日輪寺のおびんずる様は一味違います。
日輪寺のおびんずる様は、高さ30mという驚きの巨大仏像です。
しかも、通常の座像とは異なり、直立不動の姿。
さらに、不思議なことに少し斜めに傾いているという、他では見られない特徴を持っています。
おびんずる様が斜めになっている理由は、その構造にあります。
仏像の横には階段があり、そこを上るとおびんずる様のお腹の中に入れる「胎内巡り」ができる仕組みになっているのです。
「体内巡り」はロープが貼られており、入ることができません。
右手側に「石体観音三十三基」への参道へ続きます。
石体観音三十三基への参道
おびんづる様を過ぎ、石体観音三十三基へ向かう道中は自然に囲まれた空間を下っていきます。
五輪塔
寺院や墓地で見られる五輪塔は、石に刻まれた文字や形状も独特で、それぞれの要素をわかりやすく示しています。
五輪塔は、仏教の教えと自然への感謝、そして亡き人々への追悼の心を込めています。
宇宙を構成する五つの要素「五大(地・水・火・風・空)」を表現し、以下のような意味が込められています。
地: 一番下の基盤部分で、大地を象徴しています。
水: その上の球形の部分で、水を象徴しています。
火: さらにその上の三角錐のような部分で、火を象徴しています。
風: 次にある半球形の部分で、風を象徴しています。
空: 最上部の形状で、空(くう)を象徴しています。
石体観音三十三基
「おびんづる様」を拝観後に下ると、「石体観音三十三基」が左手に見えてきます。
江戸時代に各地から奉納された観音菩薩の石像群が安置されています。
この石像群には、山鹿市内の寄進者だけでなく、遠く阿州(現在の徳島県)や防州(現在の山口県)からの寄進者の名前も刻まれています。
観音菩薩への篤い信仰心と、その信仰が広い地域にわたっていたことを物語る貴重な存在です。
赤穂十七義士像
元禄十五年(1702年)、江戸城で赤穂浪士による討ち入り事件が起こりました。
当時の将軍・徳川綱吉は、この討ち入りを果たした四十六名の浪士を、四大名家の江戸屋敷に預けることを決定しました。
浪士たちは以下のように分配されました。
熊本細川家: 十七名
松山松平家: 十名
水野家: 九名
このうち、細川家に預けられた十七名の浪士には、大石内蔵助良雄を含む主要な人物たちが含まれていました。
ただし、一人、大坂吉右衛門は内蔵助から別命を受け、姿を消したと考えられています。
切腹が決定した後、堀内伝右衛門は藩主綱利公に申し出て浪士たちの遺髪を懇願します。
これを許された伝右衛門は、浪士たちの遺髪を自身の知行地である山鹿に持ち帰り、菩提寺の日輪寺のそばに埋葬しました。
これにより、遺髪塔が建立され、浪士たちの魂が今日まで手厚く供養されています。
湯町橋
吉田川に架かる「眼鏡橋」は、1814年(江戸時代)に建造された、2連アーチ構造の美しい石橋です。
その名前の通り、アーチが連なる姿が眼鏡のように見えることから名付けられました。
橋の長さは約18mで、かつては国道3号線から443号線に入る直後の場所に架けられていました。
南無
本堂の左側に「とき処 南無」への通路があります。
提供される料理は、肉や魚を一切使用せず、野菜や穀物などの植物性食品のみを使用しています。
そのため、体に優しく、老廃物を排出するデトックス効果も期待できます。
やや階段を上がったりするため、足を滑らせないようにお気をつけください。
手間ひまかけて丁寧に作られる料理は、それぞれの素材が持つ自然の味わいを最大限に引き出しており、食べる人の心と体を癒してくれます。
参拝時はまだ営業中でないため、ここまで。
看板猫
駐車場で車に向かう道中で猫に遭遇しました。
人懐っこく、足に擦り寄ってきます。
首輪をしているので、どこかの猫でしょうか。
看板猫に出会うことができて、幸せな気持ちになりました。
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