熊本県熊本市西区西区松尾町にある『雲巌禅寺』へ参拝に行きました。
金峰山山麓にあり九州西国三十三観音第14番霊場としても知られている雲巌禅寺は、日本の南北朝時代に中国から渡来した元の禅僧・東陵永璵によって、建立されたと伝えられます。
また、この寺が特に有名なのは、剣聖・宮本武蔵が晩年に霊巌洞に籠り、二天一流の奥義書『五輪書』を執筆した場所でもあリます。
・宮本武蔵の縁ある霊巌洞・五輪書
・異なる表情をする五百羅漢の石仏
・眼病平癒・眼病平癒など健康祈願スポットあり
雲巌禅寺の概要
名称: | 雲巌禅寺 |
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読み方 | うんがんぜんじ |
住所 | 〒861-5282 熊本県熊本市西区西区松尾町平山589 |
創業 | 1351年 |
電話番号 | 096-329-8854 |
参拝可能時間 | 8:00~17:00 |
社務所受付時間 | 8:00~17:00 |
御朱印有無 | 有り |
駐車場 | 無料:30台 |
例祭日 | 3月18日:春季大祭 9月28日:不動尊大祭 10月18日:秋季大祭 |
公式サイト | – |
公式instagram | – |
雲巌禅寺のアクセス方法・行き方
・熊本駅から車で約28分
・金峰山山頂から車で21分
経路
県道101号を左折してパイロット道路に入り、岩戸の里公園へ向かいます。
宮本武蔵像
しばらく進むと、右手側に『勝ちを呼ぶ武蔵蔵』が見えてきます。
写真撮影スポットとして、宮本武蔵の像が佇んでいます。
この碑文は、平成15年のNHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」の放映を記念して、そしてテレビ放送開始50周年への感謝の気持ちを込めて、熊本市が「勝ち運を呼ぶ武蔵」として座禅像を建立したことを記しています。
武蔵の生誕地である岡山県大原町と、彼が晩年を過ごした熊本城に向けて、この座禅像が計画・設置された背景が述べられています。
一、勝ち運祈願
一、合格祈願
一、ぼけ封じ祈願
勝運を呼ぶ武蔵像
武蔵蔵の左側に下り道があるため、そちらへ進みます。
緑に囲まれた道路を下ると突き当たりに行きます。
突き当たりを右へ曲がります。
すると正面玄関が見えてくるため、こちら右側へ進入します。
駐車場
駐車場自体は無料で利用できます。
駐車目的は拝観する方であり、他目的の方は駐車しないように気をつけましょう。
雲巌禅寺の由緒・御祭神・御利益
由緒・歴史
南北朝時代に、元の禅僧・東陵永與(1285~1365年)によって建立された雲厳禅寺は、金峰山の麓にあります。
寺の本尊は、境内西側の「霊厳洞」に安置された石造りの四面馬頭観音「岩戸観音」です。
この観音像は平安時代から「岩戸の観音さん」として信仰され、女流歌人・桧垣が日参した逸話は、世阿弥の謡曲『桧垣』にも描かれています。
霊厳洞には、細川家家老・沢村大学や戦国武将・鹿子木寂心の逆修の跡が刻まれ、江戸時代には宮本武蔵が籠って『五輪書』を著しました。
また、境内には「十六羅漢石像」や「五百羅漢」が並び、「金峰山湧水群」が湧き出ています。
本尊
四面馬頭観世音菩薩 | 四面馬頭観世音菩薩は、四つの顔を持ち、あらゆる方向に慈悲の手を差し伸べる観音菩薩の異形。怒りの表情を伴い、煩悩を打ち砕く力強い存在として描かれる。その怒りは、苦しみを取り除くための決意を象徴する。 |
宗旨
曹洞宗 | 日本では鎌倉時代に道元禅師によって開かれた仏教の宗派。中国の曹洞宗を源流とし、特に坐禅を中心にした修行が特徴。教えは、仏教の本質を体得するために、日常の中で坐禅を行い、自己の内面を深く見つめることに重点を置く。 |
雲巌禅寺の御朱印
社務所
本堂の向かいに社務所があります。
お守り・御朱印を受領できる箇所でお坊さんが対応していただけます。
御朱印
御朱印は直筆でいただくことが可能です。
筆による力強さが伝わります。
お守り
お守りの中には、紗文字もあります。
他の神社・お寺にない絵馬代わりなため、願いを込めて書くと良いです。
雲巌禅寺の境内の様子
打手水
中央にある苔むした石灯籠は、長い年月を経て自然と調和して趣を感じさせます。
灯籠の周りには樹木が生い茂り、苔やシダ植物が自然に根付き、静かな雰囲気が漂います。
また名水百選にも選ばれていることから、神聖ある雰囲気も味わえます。
絵馬代わりの杓文字
参拝者はこの杓文字に自分の願い事を書き、それを寺に奉納します。
杓文字は、幸運や成功を「すくい取る」という象徴的な意味を持ち、参拝者が願いを込めて奉納することで、願いが叶うとされています。
本堂
建物は木造で、和風の屋根や柱、シンプルな木製の扉など、寺院特有の穏やかな雰囲気が漂っています。
階段の前に設置されている手水鉢や左側に見える石碑など、歴史を感じさせます。
眼病平癒の観音様
拝観すると、すぐ右手側にお宮が見えてきます。
この観音様は
夢枕に立たれた
お姿を作者が
彫刻彫納した
と伝えられ、
昔より眼病平癒に
効くといわれ眼
の悪い人々の参
拝が絶えない。眼病平癒の観音様-石碑
眼病平癒の観音様です。
五百羅漢や霊巌洞を拝観する前に手を合わせると良いです。
延命地蔵尊・閻魔洞
室町時代に能を大成させた世阿弥(ぜあみ)の代表作『桧垣』は、この「霊巌洞」を舞台にしています。
物語は、老女「桧垣」が「馬頭観世音菩薩(岩戸観音)」に毎日水を供えるという内容で、霊巌洞は平安時代から全国的に知られていた場所です。
五百羅漢
雲巌禅寺の境内にある「五百羅漢」は、熊本の商人・淵田屋儀平が24年の歳月をかけて奉納したものです。
1779年から1802年にかけて造立されましたが、風雨や廃仏毀釈、1889年の地震で多くが損傷し、現存するのは約半数です。
「羅漢」とは、釈迦の弟子で悟りを開いた者を指し、信仰の対象とされています。
五百羅漢の石仏はそれぞれ異なる表情をしており、見た人が必ず身内に似た顔を見つけるという言い伝えがあります。
霊巌洞
熊本市の西方、金峰山(きんぽうざん)の山麓にある霊巌洞は、うっそうと茂る木々に囲まれた神秘的な霊場です。
洞窟内には「岩戸観音」として知られる観音像が安置されており、剣豪・宮本武蔵がこの洞窟に籠って有名な兵法書『五輪書』を著した場所としても知られています。
霊巌洞へ上がる階段の途中に2対の観音様がいます。
木漏れ日の中で手を合わせております。
岩戸観音は寺の建立よりも古く、異国から流れ着いたといわれる伝説があります。
平安時代の歌人・桧垣も参拝したとされています。
壁からツタが垂れており、紙垂が見られるため祈願場所であると伺えます。
洞窟内に大きな岩があり、その周囲に木製のデッキが設置されています。
左側は祭壇があり、お酒などの供え物置かれており、神聖な儀式や参拝のための場所となります。
岩の表面はゴツゴツしており、風化や長年の歴史を感じさせます。
雲巌禅寺のギャラリー